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プロフィール
けいすけ
しまぶく 恵祐
●1986 年8 月28 日 沖縄市生まれ
●高原小学校卒、美東中学校卒、北中城高校卒
●双子の兄と陸上自衛隊に入隊
●「命の雫」裁判(自衛官格闘訓練中暴行死事件)を
支援する会沖縄元事務局長
●島マス記念塾21期会長
●赤嶺政賢衆院議員元秘書
●2014年県議補選、2019 年参院選・比例代表候補
【現在】
県議会議員(1期)
党県委員・中部地区副委員長
止めよう辺野古新基地沖縄市民会議共同代表
自衛隊の弾薬庫建設に反対する沖縄市民の会共同代表
メッセージ
あなたとつくりたい
1人ひとりの人権を大切にし
だれもが自分らしく生きられる沖縄を
はいさい、こんにちは。
4年前、みなさんのお力で県議会におしあげていただきました。
デニー知事とともに平和で安心して暮らせる沖縄をと力をつくしてきました。
一人ひとりの声が沖縄を前に動かす力になります。
沖縄市から、再び県政へ。
なんとしても、かけあがります。
しまぶく恵祐
しまぶく恵祐の原点
なにより“いのち”
兄が自衛隊訓練中に暴行死
私は、沖縄市高原で3人兄弟の次男として生まれました。
高校を卒業するときに、「家計を助けないと」と双子の兄・英吉とともに、18歳で自衛隊に入隊しました。
しかし、兄は、20歳のとき、訓練中に亡くなりました。素手で敵を殺すための訓練でした。死因は脳挫傷。多数のあざもありました。
しかし国は兄の死の責任を認めず、出してきた調査報告書も「黒塗り」でした。
このときに手を差し伸べてくれたのが日本共産党の人たちでした。
私たち家族は、真相解明と国が責任を認めることを求めて裁判をおこし、たくさんの方々の支援で、「訓練の安全配慮をおこたった」と国に認めさせることができました。
こんどは私が「助ける」側に
兄の絶筆の書
私はそのときから、戦争反対の日本共産党、沖縄人民党(1973年に共産党に合流)以来、県民のいのちと平和のために体をはってたたかってきた大先輩たちの話に感銘をうけました。「こんどは誰か困っている人がいたら、私が助ける側にまわりたい」と入党しました。
辺野古新基地建設の「代執行」も、オスプレイも、消費税もインボイスも、県民の苦しみのおおもとにあるのが自民党の政治です。裏金疑惑にいたっては、自民党はもう「終わって」います。自民党政治を変えるために、みなさんとともにがんばります。
「命どぅ宝」──私は亡き兄の無念にこたえるためにも、1人ひとりの人権を大切にし、だれもが自分らしく生きられる沖縄をつくります。戦争の準備よりも対話と外交による平和構築を! 平和と暮らしのために、再び県政へかけあがります。
県民大集会で司会=2024年4月、瀬嵩
4年前、議席を引き継いだ
カヨウ宗儀さんの
思いを胸に
“困っている人がお金がなくても
いつでも相談にのれるようにする
それが、共産党議員のつとめ”
私、しまぶく恵祐とカヨウ宗儀さんとの出会いは、自衛隊員だった双子の兄が訓練中に亡くなったことがきっかけでした。家族で途方にくれていたとき、日本共産党、カヨウ宗儀さんが、手を差し伸べてくれました。
なぜ、こんなにやさしいのか。
カヨウさんが子どものとき、借金取りに苦しめられ、お父さんが自殺まで図ろうとしたこと、お母さんが、「どんなことがあっても子どもを育てる」と、思いとどまらせたこと──そういうカヨウさんだからこそ、お金がなくても相談できる「無料相談所」を、日本共産党の議員として、44年も続けることができたのだと思います。
カヨウさんの思いを、この4年間、忘れたことはありません。むしろプレッシャーに押しつぶされそうになったこともありました。みなさんの支えで、なんとかやってこれたというのが実感です。カヨウさんの思いを引継ぐ議員として、みなさんの苦しみを解決するために、これからも力をつくしてまいります。
しまぶく恵祐さんを応援します
ー衆議院議員ー
赤嶺 政賢
ー衆議院議員ー
屋良 朝博
ー参議院議員ー
伊波 洋一
ー参議院議員ー
高良 鉄美
ー前参議院議員ー
糸数 慶子
照屋 義美
お問い合わせ
しまぶく恵祐事務所 沖縄県沖縄市美里1-2-1